スポーツ・研究・家族・仕事、熟々と、、、

2児の父であり、夫であり、スポーツ愛好家である研究者の卵が、日々の事を熟々(つらつら)と書き散らします

MBA(経営学修士)の修了と、博士後期課程への進学。

ブログのひとこと説明で「2児の父であり、夫であり、スポーツ愛好家である研究者の卵が、、、」とあるように、研究者の卵(大学院博士後期課程在籍)をやってます。
自己紹介も兼ねて、研究者の卵になるまでの経緯や研究分野、研究対象について書きたいと思います。

再確認した研究、論文執筆の楽しさ

2018年4月に首都大学東京(現 東京都立大学)の大学院経営学研究科MBAコースに入学し、途中、休学を挟んで2021年3月に何とかMBA経営学修士)を修了しました。修士論文は、国内中央競技団体(National Federation: NF)の組織変革を組織文化論の理論的視座から分析しました。

日頃の業務の中で感じたスポーツ界の課題、誰も研究していない事象を、NFの会長や事務局長、役職員へのインタビュー、資料の収集によって得た情報を基に、組織文化論の分析枠組を用いて論理的に説明しました。理論に基づいて事象を見た時、事象の一つ一つが理論にはまっていく感じが快感でした(文字にすると変態感がありますが...)。

NFの会長や役員、事務局長に対して直接インタビューができるのは、間違いなく仕事上の立場(勤めている組織)のおかげです。修士論文を執筆する中で、私がNFの会長(有名な元アスリート)や役員にインタビューを実施できたことに、指導教官が驚いていた記憶があり、そういった部分では、今の立場だからできる研究があり、私にしかできない研究があると考えています。

何故、博士後期課程に進むのか

修士論文を執筆する中で、NFの組織変革に係る研究を続けたい、(理論として古い?)組織文化論ではなく他の理論を用いて研究したいと思うようになり、博士後期課程への進学を決意しました。経緯だけを見れば納得感があるりますが、学費を支払い、他の時間を削って研究をする理由は何なのか?Ph.D.をとってどうするのか?改めて考えると、明確な目的は無い気がします。朧気ながら、将来的に研究職に就ければ良いかな...程度です(研究が好きなのは間違いない)。なので、周囲から「何故、博士?」と聞かれたら「メールの署名にPh.D.と書けたら格好良いから」と答えるようにしています(嘘ではない)。

少し古い情報ですが、2015年の博士課程(博士後期課程)の入学者は、15,283名だったようです(文部科学省, 2015「学校基本調査報告書」)。学部からストレートに修士課程、博士課程と進んできた者もいれば、私のように社会人大学院に通う者もいます。さらには人文社会学系を専攻する者、自然科学系(理学・工学等)を専攻する者もおり、それぞれに多様な想いを持って博士課程に在籍しているはずです。是非、志が高い方の博士課程への進学理由を聞いてみたいところです(決して、私の研究へのモチベーションが低いわけではないことは念押しして記しておきます)。

博士後期課程に進学して

博士後期課程に進学し4年目になります(執筆時)。これまで学会での発表はしてきましたが、論文の学術誌への投稿は全敗です。他方でゼミの先輩方は、国内で有名な学術誌に論文が掲載され、アカデミック業界へ転職したり、専門書を共同執筆したりと着実に実績を上げています。

そんな環境下で焦りを感じつつも、仕事の忙しさにかまけて論文執筆が進まない状況です。ただ、前掲の通り、息子が学童野球を辞め、それに伴い私のコーチ業も終了したことから研究に割く時間が増える(はず)ので、ここから巻き返せればと思います。

投稿した論文が学術誌に採択された旨、この場で報告できるように研究に励みます。

息子、野球を辞めました。

小学4年生の息子が野球を辞めました。小学1年生の夏から始め、3年弱で辞めることになりました。
息子に非は無く、私が要因です。父親としての私の過ちを、反省を込めて書きたいと思います。

息子が野球を始めた経緯

息子が野球を始めたのは、小学1年生の夏でした。私も妻も大学までスポーツに取組み、全国大会での入賞経験もあったため、息子にも何かしらのスポーツをしてほしく、いろいろなスポーツを観戦し、興味をもったスポーツに取組んでほしいと願っていました。

私は、小学生から中学生の途中まで野球をしており、その後は他のスポーツに移りつつも、プロ野球観戦や草野球でのプレー等、身近に野球があり、息子もその影響で野球に興味をもってくれました(勘違いだったかもしれませんが、、、)。

息子が野球に興味をもってくれたことから、息子が通う小学校を活動拠点にする学童野球チームの練習を一緒に見学、体験し、勝利に拘ることのない和気あいあいとした雰囲気のチームだったことから、そのまま入部することとなりました。

私の好きな野球に息子も取組んでくれることが、とても嬉しく感じていました。

息子の野球への気持ちの変化

週末のチームの練習だけでなく、時々、平日も自主練をしていたこともあり、試合でヒットを打ったり、フライを捕球できるようになったりと、その成長は著しいものでした。

しかし、息子よりも少し後に入部した同級生によって、私の心境が変わってしまいました。その同級生は、息子よりも野球が好きで、毎日、自主練をし、その結果、息子よりも野球が上手になり、上級生の試合に出場するようになりました。

私は、小学生年代がゴールではなく、中学、高校と野球を続けてもらえるように、野球の楽しさ(時には難しさや厳しさも)を伝えることが大切だとわかっていながらも、チーム内では一番上手でいてほしい、活躍してほしい、という思いが強くなってしまい、息子にプロ野球選手になってほしいわけでもないのに、毎日、自主練をさせたり、自主練中も厳しく叱責し、息子が野球を嫌いになる要因を作ってしまいました。

その頃から、息子も野球が最初から好きじゃなかったから辞めたいと言うようになり、妻と一緒に説得しながら野球を続けさせていました。
息子からしたら、野球は父親から怒られるものという認識になっていたと思います。

息子が野球を辞めることとなったトリガー

辞めたいと言いながらも野球を続けていた息子ですが、その気持ちからチームの練習中に、上手くいかないと不貞腐れる様な態度をとることもありました。その態度について、私から怒られ、さらに野球が嫌いになっていく、悪循環に陥っていたと思います。

そんな中、息子は、チームの練習中に私以外のコーチからもその態度について怒られてしまいました。態度が悪かった息子が要因ですが、息子にとっては、野球が父親だけでなく他のコーチからも怒られるものになった瞬間でした。

不貞腐れて練習を離脱してしまい、今すぐ野球を辞めたいと訴えられた私は、これまで辞めたいと言われても何とか(無理に)続けさせてきたが、これが限界だと思い、そのままチームの代表と監督に辞める旨を伝え、退部することとなりました。

後悔と反省

帰宅後、息子とゆっくり話ましたが、私との自主練は嫌いではなかったとか、あくまでも最初から野球が好きではなかったと、息子なりに私に気を遣ってくれているこがわかり、思わず涙してしまいました。

今回の出来事は、親が子どもを潰す典型的な事例です。よく聞く話であり、気をつけなければならないとわかっていたにも関わらず、それを回避することができなかった私の力不足、心の弱さです。
息子が誰よりも野球が上手でいてほしい、誰よりも活躍してほしいと思う気持ちは、息子を思った気持ちではなく、父親としての優越感を得るための気持ちだったと思います。

「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む
(中村 元訳(1978)ブッダの真理のことば・感興のことば, 岩波文庫, 19頁)

子どもは親の所有物ではありません。別人格の一人の人間として、共に成長する存在であることに改めて気づかされました。
この過ちは帳消しにできません。その分、これからの息子の人生に最大限のサポート、伴走をしたいと思います。